「知って楽しい水泳こぼれ話」、第9回です。
史料で確認できること
1900年8月11〜12日、セーヌ川で12人が参加した一度きりの五輪種目
- 障害物:ポールを越える → ボート列を越える → 別のボート列の下を泳ぐ
- 優勝:フレッド・レーン、2分38秒4
- 2位:オットー・ヴァーレ、2分40秒0
- 3位:ピーター・ケンプ、2分47秒4
今回のネタは、聞いた瞬間に「え、何それ?」と二度見してしまうやつです。1900年のパリ・オリンピックには、男子200m障害物水泳という競技がありました。ポールを越え、ボート列を乗り越え、別のボート列の下を泳ぐ。読んでいるだけでお腹いっぱいになりそうな種目です。
1900年パリ五輪、競泳はすべて川の中
まず前提として、1900年パリ大会の水泳競技はセーヌ川のアニエール=クルブヴォア周辺で行われました。すべてが同じ条件だったわけではなく、200m自由形など一部は下流方向へ泳いだため、当時として非常に速い記録になったとされています。
そんな自由すぎる環境で、なぜか1種目だけ「障害物コース」が混ざっていました。それが今回の主役、男子200m障害物水泳です。
ポールを越える・ボートを乗り越える・ボートの下を泳ぐ
競技の中身を並べると、いよいよ興味深くなってきます。コースの途中に3つの障害物があって、選手はそれを順番にクリアしながら200mを泳ぎ切るというルールでした。
- 立てられたポールを越える
- 並べられたボートを乗り越える
- 別のボート列の下を泳ぐ
もう競泳というよりはアスレチックですね。プールサイドで応援している家族から「何やってるのお父さん」と言われそうな絵面です。
ポールを「越える」って、どうやって?
記録には、最初の障害を「ポールを越える」とあります。一方、確認できた結果資料だけでは、ポールの高さや材質、選手がどの姿勢で越えたかまではわかりません。現代の映像を見たように細部を断定しない方がよさそうです。
詳しい映像が残る現代競技とは違い、想像で補いたくなる余白もこの種目の面白さです。ただし、確認できるのは3種類の障害物と結果まで。ポールから飛び降りた、ここで力尽きた選手がいた、といった話は史料なしには言い切れません。
出場は12名、優勝はオーストラリアの伝説
この変わった種目に参加したのは4か国12名。優勝したのは、オーストラリア出身のフレッド・レーン選手で、記録は2分38秒4でした。レーンはオーストラリア国籍でしたが、1900年大会の結果では英国代表として扱われています。
レーン選手は同じ大会の200m自由形でも金メダルを獲っているので、純粋に泳ぎが速かった人ではあります。ただ、自由形と障害物の両方で金、というのはなかなか他にいない経歴です。「障害物水泳の歴代金メダリスト」は実質この人ひとりが永久にトップで居続けるわけで、地味にすごい称号でもあります。
流れも障害物のひとつ
そして忘れちゃいけないのが、会場がプールではなくセーヌ川だったこと。川の流れがあり、少なくとも一部種目は下流方向へ泳いでいました。障害物水泳は12名が予選に参加し、そのうち10名が決勝を泳いでいます。
「コースが川」というのは現代の競技感覚だと相当のレア体験。プールでスタートからゴールまでまっすぐ泳げることのありがたさを、ちょっと噛みしめたくなる話です。
なぜ1回で消えたのか
障害物水泳200mが五輪で行われたのは、確認できる限り1900年パリ大会の1回だけです。なぜ次回以降に採用されなかったかを説明する明確な資料は、今回確認できませんでした。
設備、安全管理、競技の標準化が難しかったのでは、と推測はできます。ただし、これは現代から見た推測です。「危険だったから廃止された」と史実のように断定はできません。
2分38秒というタイムの不思議
レーン選手の決勝タイムは2分38秒4。2位オットー・ヴァーレの2分40秒0とは1秒6差でした。障害物のない現代の200m自由形とはコースも計時環境も違うため、記録を直接比べても競技力の比較にはなりません。
順位表を見ると、決勝10名の記録は2分38秒4から3分30秒6まで。ポールと二つのボート列を含む同じコースで、選手間に約52秒の幅がありました。
同じ1900年大会には他にもユニークな種目があった
ちなみに1900年パリ五輪は、競泳まわりの「ユニーク種目祭り」みたいな大会でした。障害物水泳のほかに、「水中潜水距離+時間競技(潜水で進んだ距離と滞在時間でポイント化)」という種目もあって、こちらも1回きりで消えています。
当時はまだオリンピック自体が手探りで、「とりあえずいろいろやってみよう」という空気だったのが伝わってきますね。1900年って、お祭り感がすごかったんだなぁと、改めて思います。
決勝は10名、上位3人の記録
| 順位 | 選手 | 記録 | 結果上の代表 |
|---|---|---|---|
| 1 | フレッド・レーン | 2分38秒4 | 英国 |
| 2 | オットー・ヴァーレ | 2分40秒0 | オーストリア |
| 3 | ピーター・ケンプ | 2分47秒4 | 英国 |
予選は3組で行われ、各組上位2名と、残りの記録上位4名が決勝へ進みました。結果表には10位まで記録が残っています。
フレデリック・レーンってどんな人?
主役のフレデリック・レーン選手のことも、ちょっとだけ補足を。オーストラリア出身で、1900年パリ大会時は20歳でした。記録上の代表は英国、国籍はオーストラリアとされ、国籍表記には議論があります。200m自由形と障害物水泳200mの2冠、しかも200m自由形では当時の世界トップタイム級を出していました。
レーンは1899年にイングランドへ渡り、ブラックプール・スイミングクラブに所属しました。英国の選手権でも実績を残した後、パリで200m自由形と障害物水泳の2冠を達成しています。
もし今やったらどう見えるか
個人的には、現代に復活させたらバラエティ番組として完全に成立すると思っています。サスケと競泳の中間、みたいな絵面。配信時代の今、世界選手権の合間にエキシビションでやったらバズる気がするんですよね。
ただ、選手の安全面と練習のしようがなさを考えると、現実には絶対戻ってこない種目でしょう。「100年以上前の人たちはこんなことをやっていた」と昔話として楽しむのが、ちょうどいい距離感です。
今のオリンピックとの距離感
翻って現代のオリンピック競泳は、種目もルールもガッチガチに整備されています。50mプール、レーンロープ、自動計時、ストロークルール。種目を増やすにも国際連盟の長い議論を経て、世界選手権で何度かテストしてからやっと採用、という流れです。
「障害物水泳」みたいなインパクト先行の種目が一気に飛び込んで、一気に消える、ということはもうほぼ起こりません。それは健全な進歩ではあるのですが、ちょっとした寂しさもありますね。1900年の現場にいたら、混乱しながらも「これは伝説になるぞ」って絶対思ったはずです。
まとめ
ポールを越え、ボート列を乗り越え、別のボート列の下を泳ぐ200m。1900年パリ大会だけに存在した、たった1度きりの障害物水泳でした。確認できる史実と想像を分けて読むほど、当時の大会の自由さが伝わってきます。



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