「知って楽しい水泳こぼれ話」、第1回です。1900年パリ大会の競泳は、現在の競泳プールではなくセーヌ川で行われました。
先に結論
1900年大会の競泳は、セーヌ川のアニエール・クルブヴォア付近で実施されました。7つのメダル種目には自由形や背泳ぎだけでなく、障害物水泳、水中潜水、団体種目も含まれます。下流へ泳いだ種目では流れによってタイムが速くなり、現在のプール記録とは比較できません。
競泳7種目はセーヌ川で行われた
- 200m自由形
- 1,000m自由形
- 4,000m自由形
- 200m背泳ぎ
- 水中潜水
- 200m障害物水泳
- 200m団体水泳
Olympediaでは、会場をセーヌ川のPont de CourbevoieからPont d'Asnières周辺としています。当時の「パリ五輪」といっても、現在の都心観光地だけを指すわけではありません。
下流へ泳いだ200m自由形はタイムが速くなった
200m自由形は下流方向に泳いだため、当時として非常に速い記録が出ました。Olympediaは、これらを記録目的では考慮できないと説明しています。すべての種目が同じ流速条件だった、上流へ泳いだ選手がいた、とまでは確認できません。
障害物の順序は「柱・船の上・船の下」
200m障害物水泳では、選手は最初に柱を乗り越え、次に並んだ船の上を越え、別の船列の下を泳ぎました。元記事では船をくぐる順序と越える順序が逆でした。
優勝したFred Laneはオーストラリア出身ですが、Olympediaの五輪結果ではGreat Britainとして扱われています。決勝タイムは2分38秒4、出場は4か国12人でした。
水中潜水は時間と直線距離の得点制
水中潜水は1秒につき1点、スタート地点から直線で進んだ1mにつき2点でした。優勝者Charles Devendevilleは60mを68秒4で進み188.4点を記録しました。公式の競技結果には、種目がその後なくなった理由までは記載されていません。ここでは確認できるルールと結果を紹介します。
水着や計時方法を想像で補わない
1900年当時の一般的な水着や手動計時を紹介することはできますが、この大会の全選手が長袖・長ズボンのウール水着だった、ゴールはロープへタッチした、1秒単位の誤差が普通だった、という個別の説明は確認できません。残っている写真・大会記録以上の細部は断定しないようにします。
2024年、セーヌ川に五輪の水泳競技が戻った
パリ2024ではトライアスロンとマラソンスイミングがセーヌ川で実施されました。競泳は屋内プールで行われたため、「競泳が124年ぶりにセーヌ川へ戻った」ではなく、「五輪の水泳競技がセーヌ川へ戻った」と区別するのが正確です。
まとめ
1900年パリ大会の競泳はセーヌ川で行われ、下流の流れを使う種目や、障害物・潜水を含む現在とは異なる競技構成でした。面白さを強調するために会場設備や廃止理由を想像で足さず、残っている結果そのものを見るだけでも、競泳が形を整えてきた歴史が伝わります。



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